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大阪地方裁判所 昭和59年(行ウ)110号 判決

原告

中山八重子

右訴訟代理人弁護士

木下準一

斉藤浩

中西裕人

被告

地方公務員災害補償基金大阪市支部長 西尾正也

右訴訟代理人弁護士

柴山實

主文

一  被告が昭和五六年五月二〇日付で原告に対してなした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四二年七月一日電話交換手として大阪市に採用され、同市立中央図書館において電話交換業務に従事していたところ、右従事期間中に頸肩腕症候群に罹患し(以下「本症」という)同五五年二月二〇日西淀病院において「頸肩腕障害」の診断を受けた。

2  原告は、本症は公務上の災害であるとして同年六月五日被告に対して地方公務員災害補償法四五条による認定請求をしたが、被告は、同五六年五月二〇日付で原告に対し本症を公務外の災害と認定する処分(以下「本件処分」という)をした。原告は、地方公務員災害補償基金大阪支部審査会に対し審査請求したが、同審査会は同五七年一〇月八日付でこれを棄却する旨の裁決をしたので、さらに原告は地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会も同五九年六月二七日付でこれを棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は同年七月一七日原告に送達された。

3  しかし以下の経緯によれば、本症が原告の従事した公務に起因するものであることは、明らかである。

(1) 原告の業務量などの変化

ア 原告は昭和四二年二月一日大阪市市立中央図書館の電話交換手アルバイトとして勤務を開始し、同年七月一日から大阪市に電話交換手として採用され引き続き同図書館で電話交換業務に従事してきた。同市は同四七年以来毎年同図書館の分館建設をすすめ、分館から中央図書館への連絡は全部交換台を経由する電話によって行われたこと、特に同五二年四月から集中整理体制が導入され中央図書館は市立図書館の中枢的役割を果たすようになり、さらに近年図書館のマスコミを使ったPR(行事・刊行物・利用案内)が充実したため電話での問い合わせが増えたこと等から、原告の業務量は増加した。

イ 同五〇年五月一三日、電話交換機が有紐式から無紐式に機種変更されたが、新機種の中枢台設置専用台は鉄製机で冷たく、高さが七七センチメートルで、中枢台の高さを含めると81.5センチメートルから89.5センチメートルにもなり、原告は両腕を高めにあげる作業姿勢を余儀なくされ、またブレストは重く(三〇二グラム)頭をしめつけるので頭痛の原因になりやすく、頭からはずし使用の都度これを左手で左耳にあて、右手でキーやボタンをたたくという操作を行っていた。

ウ 原告は従来、二座席二名の人員で稼働し、休館日である月曜日と祝日が定休日であったが、右機種変更にともない月曜日も出勤することになり、日曜日と月曜日が交互に一人勤務となった。従来から他の一人が年休、生理休暇をとったときは一人勤務であったが、右変更により一人勤務の日数が二、三倍に増えた。一人勤務の時は昼の休憩時間を除く七時間の連続作業になり、原告の疲労蓄積の要因になった。

(2) 原告の発症とその病状の経緯

ア 原告は、同五〇年秋頃から同五四年五月頃まで疲れやすく、勤務後の疲労感が持続するようになり、風邪をひきやすく、頑固な肩こり、頭痛になやまされ、生理痛もひどくなり、さらに胸の筋肉に痛みを感じるようになり、寝つきが悪く熟睡できないという症状も出てきた。

イ 原告は、同五四年六月中頃首筋から肩・背中にかけて硬直し、激痛が続くという症状が出るに至り、同月一八日田村外科で受診したところ「使い痛み、肩凝りのきついもの」との説明を受けた。さらに原告は、同様の症状が続くので同年七月一二日池田診療所で受診したところ「肩が凝りきっている」との指摘を、同年一〇月一五日受診した加賀屋診療所では「疲れすぎている、できるだけ仕事量を減らし、全身運動をするように」との指摘をそれぞれ受けた。そのうえ同五五年二月ころから前記症状が一層悪化し、嘔吐し食欲がなく、頭痛・背中から首にかけての硬直、腰・左腕から指先までの激しい痛み・しびれのため一人で身の回りの事さえできないようになり、同月九日右田村外科で応急手当を受けた後、前記のとおり同月二〇日西淀病院で「頸肩腕障害」の診断を受け、そして、同年四月二一日から同年八月一四日まで病気欠勤、引き続き同五六年八月三一日まで病気休職となった。

4  よって、原告は被告の本件処分が違法であるから、その取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2のうち、裁決書謄本の送達日が原告主張の日であることは不知、その余は認める。

3  同3の冒頭の、本症が原告の従事した公務に起因するものであることは否認する。

(1) 同3の(1)のアのうち、原告は昭和四二年二月一日大阪市立中央図書館の電話交換手アルバイトとして勤務を開始し、同年七月一日から大阪市に電話交換手として採用され、引き続き同図書館で電話交換業務に従事していたこと、同市が同四七年以来毎年同図書館の分館建設をすすめ、分館から中央図書館への連絡は全部交換台を経由する電話によって行われたことは認めるが、原告の業務量が増加したことは否認し、その余は不知。

(2) 同3の(1)のイのうち、同五〇年五月一三日、原告が使用していた電話交換機の機種変更、新機種の中継台設置専用台は鉄製机であり、その高さが原告主張のとおりあったこと、ブレストの重さが三〇二グラムであることは認め、原告が両腕を高めにあげる作業姿勢をとっていたことは否認し、その余は不知。

(3) 同3の(1)のウのうち、原告は従来、二座席二名の人員で稼働し、月曜日と祝日が定休日であったことは認め、右機種変更により月曜日も出勤することになり、日曜日と月曜日が交互に一人勤務となったこと、及び一人勤務の日数が従前の二、三倍になったことは否認し、その余は不知。

(4) 同3の(2)のうち、原告が同月二〇日西淀病院で「頸肩腕障害」の診断を受けたこと、同年四月二一日から同年八月一四日まで病気欠勤、引き続き同五六年八月三一日まで病気休職となったことは認め、その余は不知。

三  被告の主張

1  認定基準について

(1) 原告の主張する本症が公務上の疾病と認められるためには、本症と原告の従事した公務との間に相当因果関係(公務起因性)が認められなければならない。地方公務員災害補償法における災害の公務上外の認定について「公務上の災害の認定基準について」(地基補第五九三号)は「業務に伴う有害作用の程度が当該疾病を発症させる原因となるに足るものであり、かつ、当該疾病が医学経験則上当該原因によって生ずる疾病に特有な症状を呈した場合は、特に反証のない限り公務上のものとする」(認定基準2(2)イ(エ))と定めている。

(2) そして、頸肩腕障害に関する右認定基準の具体的な取扱については「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(地基補第一二三号)の3は「上肢の動的筋労作または静的筋労作を主とする業務に従事する職員で相当期間継続して当該業務に従事したものが、その業務量において同種の他の職員と比較して過重である場合またはその業務量に大きな波がある場合において」いわゆる頸肩腕症候群を呈し、「医学上療養が必要であると認められるときは、公務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続により、その症状が持続しまたは憎悪する傾向を示す場合に限り」公務上の疾病として取り扱うとしている。

(3) さらに「「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」の実施について」(地基補第一九二号)は、前記(2)の取扱の基準で示されている「その業務量において同種の他の職員と比較して過重である場合」「その業務量に大きな波がある場合」等について、具体的な実施基準を示している。

(4) 被告は、原告主張の本症と原告の業務との間に相当因果関係があるか否かを、これらの認定基準に基づき判断した。

2  原告の本症と従事した公務との間に公務起因性があるというためには、単に公務従事期間中に発症し、公務以外には発症の原因となる事由が見い出せないというだけでは不十分であって、原告の従事した業務量が一般的・経験的にみて本性が発症しても無理からぬと思料される程度に過重な場合でなければならない。本症の公務起因性を肯定する田尻医師の見解は、原告の発症につき公務以外の原因が見当たらないというに止まるから、正当でない。

そして、以下の事情から、原告の本症に公務起因性はないというべきである。

(1) 本症発症までに原告が従事していた公務は過重とはいえず、大きな波がある場合でもない。

ア 昭和五〇年五月一三日原告の使用していた交換機が有紐式から負担の少ない無紐式に変わってから、一日当たりの作業量は三九一回から一五六回(九一五タッチ)に大幅に減少し、通常の二人勤務のときの作業量は一日一人当たり七八回(四五七タッチ)となり、業務量は非常に少ない。しかも原告の本症は無紐式に変わった後に現れており、それ以前は症状の訴えがない。

イ 原告の一人勤務の回数は、同五四年度において月平均6.5回であり、昼休み等には電話交換業務は事務室に切り換えていたのであるから、業務が過重であるとも、業務に大きな波があるともいえない。

ウ 原告の勤務時間は午前九時から午後五時までであり、通常の二人勤務のときは一時間ごとに一時間の休憩時間があり、時間外勤務もしていない。同五四年度の原告の休暇等の取得日は六一日であり、これに勤務を要しない日等を加えると一二九日で、これは業務による疲労を消退させるに十分な日数である。

エ 旧電信電話公社が定めた構内交換設備等に関する「技術基準」は、動作率(一時間中に交換作業のために動作した時間の割合を百分率で表したもの)の目安として七五%を採用しているが、原告の同六〇年三月二二日から四月四日までにおける動作率の状況は、平均五〇%、最大でも61.7%である。そして、原告の主張によれば、原告の業務量は年々漸増したというのであるから、本症発症当時の原告の業務量は同六〇年当時のそれよりも少ないと合理的に推測できる。

オ 旧電信電話公社が配付していた「PBS運用管理の手引」は、通話取扱数(最繁時一時間中に取り扱う通話件数)の目安を一〇〇件程度までとしているが、原告の同六〇年三月二二日から四月四日までにおける通話取扱数の状況は、平均二二件、最多で四三件、最少で七件であり、同六一年四月から三箇月間の中央図書館の電話交換の取扱件数は、最多で五八件、最少で六件である。

カ 中央図書館において交換台が二台置かれているが、一台は予備のためのものであるから、交換手も二人で十分である。

キ 原告は同四九年一〇月三日第一子を、同五二年二月一六日第二子を出産したが、これに伴い出産前後において実働時間を軽減され、産前産後休暇及び育児時間もとっている。

(2) 原告の使用機器及び電話交換室内における照明・温度・換気・騒音等の作業環境については、いずれも問題がない。なお、原告は人間工学理論に基づき、右使用機器の欠陥を主張しているが、周知の理論とはいえない。また、原告は使用機器と原告の体格の不適合を理由に本件の公務起因性を主張しているが、職場における使用機器等は常に規格的に製作されたものであるから、使用する者の創意・工夫により克服できる範囲のことは克服すべきである。そして本件において椅子が低すぎるというのであれば、厚めの座蒲団を敷くなどして工夫はできたはずである。さらに、原告は当時使用していたブレストが重すぎたというが、右ブレストは、電話交換の職場一般において使用されていたもので、特に重いということはない。

(3) 原告と同僚職員と比較してみると、同僚職員は原告よりは九歳年長で、身長は五センチメートル低く、熟練度・経験は同程度であり、一人勤務の回数は同僚職員の方が原告より多いにもかかわらず、原告のような症状を訴えていない。

(4) 電話交換業務は主として右手を使うが、原告の症状は左手に出ている。

(5) 原告が「頸肩腕障害」と診断された同五五年二月当時、原告には五歳と三歳の二児があり、第一子出産時から育児等のため、上肢に負担のかかる状況にあったことは、無視されるべきでない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  認定基準について

公務上の認定基準と民間企業の労災に適用される業務上の認定基準はほぼ同じであるが、後者は企業の利益を反映したものである。被告主張の認定基準は極めて厳しい制約と限界があるが、右基準の適用にあたっては基準自体の限界を考慮するとともに、事件に特有の条件を検討してなされるべきである。

これを本件に則してみるに、まず、業務の過重性の有無は、他人の作業量との比較において判断すべきでなく、原告の労働負荷が過重であったかどうかこそ重視されるべきである。加えて、原告の同僚は一人しかいないので、その業務量の比較は本症が発生するか否かについて何ら統計的意味は持ちえない。したがって、業務の過重性の有無を判断するにあたって同種の職員との比較は意味を有しない。

次に、業務量に大きな波があるか否かについて右基準は、第一に一日の業務量のおおむね二〇%以上の業務量が増加したこと、第二に右増加の日が一月のうち一〇日程度あることとしている。原告の場合、二人勤務が通常であるから一人勤務のときは業務量が一〇〇%増加しているというべきであり、支部審査会裁決書の出勤状況表(同裁決書別表2)による原告の昭和五三年四月から同五四年一二月までの一人勤務の状況は月平均6.69日であるとしても、両者あいまって右第一、第二の要件以上の過重な負担であるというべきである。

2  業務量について

(1) 業務量の過重性は取扱件数・タッチ数のみですべきでないし、特にその一定期間の平均した数値によってのみ判断すべきではない。けだし、電話交換業務は、全くかかってこないこともあれば三本が同時に呼び出すこともあるように相手次第の仕事であり、絶えず緊張を強いられる業務であること、指定された相手に右から左へつなぐだけの作業ではなく、特に外線からの電話は用件の内容を十分に聞いたうえでどこにつなぐべきか判断することが必要であり、また自席にいない職員を館内中捜すことを必要とする場合もあり、一件あたりの処理に要する時間はまちまちであること等から、単純に取扱件数・タッチ数のみでその過重性を判断したのでは、電話交換業務の労働の質を無視することになるからである。

(2) 交換機の有紐式から無紐式への変更は業務量を軽減させていない。

電話交換業務は上肢を何度も上下運動させる作業であるがゆえに職業病としての頸肩腕障害を惹起する素因が存するが、この点において有紐式と無紐式とで差はない。もっとも、右変更により内線相互間・内線から外線への取扱はなくなったが、もともと右取扱業務は相手の指定が明確であり、一件当たりの処理時間は少なくてすむものであった。原告の疲労蓄積の原因、すなわち本症の原因としては外線から内線への取扱業務であり、この取扱業務は増加する一方であった。

(3) 被告は一日の取扱件数の目安を四〇〇ないし五〇〇と主張しているが、一日の勤務時間を八時間とすると一分前後に一件ということになり、一日中絶え間なく通話していることになる。したがって、不可能な業務量というほかない。

3  本症の公務起因性について

頸肩腕障害の発症機序は極めて多様であるが、作業負荷要因として、①上肢の反復動作②上肢の挙上保持、同一姿勢の保持③作業遂行に伴う感覚系及び精神的ストレスの負荷が考えられ、さらに負荷過重・疲労回復の阻害要因として、①人間工学的条件として、機器の特性・作業台の高さ・機器の配置等②作業条件として、作業量・作業速度・作業時間・一連続作業時間・休憩時間・自発休息③作業環境として、採光・照明・気温・騒音④その他作業者の充実感や生活等が考えられる。したがって頸肩腕障害の業務起因性の判断は労働の実態に則してなされる必要があり、一律、画一的な判断にはなじまない。

そこで、以下原告の場合の右要因を具体的・個別的に検討する。

(1) 電話交換作業自体の負担

第一に、電話交換機の操作そのものが手指の繰り返し作業(動的筋労作)に該当することはいうまでもない。

第二に、電話交換業務は特に作業姿勢そのものの拘束性が強く、自由に姿勢を変えることのできず、身体に多大の苦痛と疲労を与える。のみならず、原告にとって、作業台が通常より高かったこと及びブレストの重みに頭を締め付けていたこと(それを避けるためにブレストを左手で保持するという姿勢をとらねばならなかった)は、大きな負担となった。

第三に、電話交換業務は、通話がはいっていない間もいつ入ってくるかわからない信号に対して常時神経の緊張を保つことが要求されるから、精神的拘束性が高いのみならず、原告の業務は、市民に対する公共のサービス機関である図書館におけるそれであるところから、常に迅速・確実な応対を求められており、高度の精神的緊張が随伴していた。

(2) 休憩時間について

被告は、通常の二人勤務の場合一時間おきに一時間の休憩時間があるから原告には十分な休憩が与えられているかのように主張している。しかし、休憩時間といっても別に休憩室がありそこで休むわけでなく、同僚のすぐ横で待機しているのであり、同時に二台の交換機が呼び出した場合、休憩中であっても就業を余儀なくされることもある。

加えて、昭和五〇年五月から月・日曜日ごとに交代で一人勤務になり、同僚が休暇をとった場合を加えると、右の「待機」時間さえない一人勤務は三日に一回以上になる。これは主として、交換機二台に交換手二人という体制によるものであるが、電話交換の職場においてかような過重な例は他にない。

(3) 交換機の欠陥等による業務過重性

原告の電話交換業務は、使用機械の欠陥・身体との不適合により過重された。

原告の使用機械の高さは調節できず、原告が作業する面の床からの高さ(以下「作業面高」という)は八五ないし88.5センチメートルであるが、日本人の体格に適合する作業面高は六〇ないし七二センチメートルである。そうすると、右機械を身長153.5センチメートルの原告が使用する場合、人間工学的見地からは、床から五三センチメートルの高さ(以下「座面高」という)の調節可能な椅子及び二一センチメートルの高さの足置き台が必要である。しかし、原告が使用していた椅子の座面高は、故障により三九センチメートルに固定されていた時期があり、調節できた時期における最高の高さでも四五センチメートルであった。これにより、原告は肘より高く挙げて作業することを余儀なくされ、ひいては上肢の筋肉に過重な負担をかけていたことは、明らかである。

さらに、原告の使用していた交換機のキーボードの厚みは、八ないし11.5センチメートルであり、その傾きは二二度で固定されていた。ところで、人間工学的見地から、キーボードは、厚みが三センチメートル以内、傾きは五ないし一五度で調節可能であることが望ましいとされている。原告の使用していたキーボードの傾きから考えて、原告は手首を前腕より上方に保持することを余儀なくされることになるから、それだけ上肢の筋負担は増加することになる。また、右交換機の素材が鋼鉄製であったことから、打鍵作業により原告の皮膚温が低下し、血液の循環を悪くし、生理的な障害、影響が起こったことが考えられる。加えて、原告が長年使用していたブレストは重さ三〇二グラムの旧式のもので、これを使用することにより肩から頸にかけての筋肉に過重な負担をかけていた。

(4) 一人勤務(一連続勤務時間)の業務過重性

電話交換業務は極めて拘束性の高い作業であるのに対して、原告の職場では同四九年一月までは、一人勤務の場合一日連続八時間の作業をしていた。同月以後は昼の休憩一時間が確保されたが、それでも三ないし五時間の連続作業を余儀なくされた。このような一連続作業時間と休憩の必要性を無視した作業が、多数の頸肩腕障害を惹起させている。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実(原告が公務に従事していたこと及び本症に罹患したこと)は当事者間に争いがない。同2の事実(被告が公務外認定処分をしたこと及び訴訟要件)のうち、地方公務員災害補償基金審査会における裁決書謄本の原告への送達日が昭和五九年七月一七日であることは弁論の全趣旨から認められ、その余の事実は当事者間に争いがない。

二公務起因性の認定基準

地方公務員災害補償法(以下「補償法」という)に基づく補償を請求するについては、その補償の原因である災害(本件では疾病)と公務の間に相当因果関係の存在(公務起因性)が必要であることはいうまでもない。

そして、労働省労働基準局長が、特定業務の従事者に業務に起因して頸肩腕症候群の発症する場合のあることに鑑み「キーパンチャー等手指作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第七二三号)を昭和四四年一〇月二九日発し、その後同五〇年二月五日付をもって基発第五九号(以下「通達」という)により右認定基準の改定を行ったこと及びその内容、並びに地方公務員災害補償基金理事長が同基金各支部長に対し、「公務上の災害認定基準について」(昭和四八年一一月二六日地基補第五三九号、第三次改正昭和五七年九月三〇日地基企第三三号)を発しているほか、「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」(昭和四八年三月六日地基補第一二三号、第三次改正昭和五三年一一月一日地基補第五八七号)及び「「キーパンチャー等の上肢作業に基づく疾病の取扱いについて」の実施について」(昭和五〇年三月三一日地基補第一九二号)(以下両者合わせて「通知」という)において、前記通達の趣旨に則り地方公務員の公務上の災害認定業務における認定基準とその細則を設けて、認定業務の指針を与えていること及びその内容は、いずれも公知の事実に属する。

地方公務員の災害の公務起因性の認定にあたっては、補償法及び右通知が行政上の運用基準とされるが、本来公務上の災害(疾病)と私企業における業務上の疾病との間で取扱に差異があってはならないことから、右通達・通知は、互いに他を補完すべきものであって排斥すべきものではないと解せられるところであり、また、右通達・通知は現時点において最も新しい医学的常識に則した認定基準を設定していると考えられるのであって、当裁判所もこれらを合理的認定基準として斟酌することが相当であるが、右通達・通知の認定基準は、行政庁をして適正迅速かつ斉一的に認定業務をなさしめる趣旨から設定されたものであり、裁判所を拘束する性格のものではない。

ところで、後記認定のとおり原告の従事していた公務は右通知・通達にいう「上肢の動的筋労作または静的筋労作を主とする業務」に該当する電話交換手であるところ、かかる公務に従事した公務員に本症が発症した場合の公務起因性の判断にあたっては、右通知・通達が定めているところのすべての要件を満たしているときには、原則として公務起因性を肯定すべきであるが、その中のある要件(例えば「その業務量において同種の他の職員と比較して過重である場合またはその業務量に大きな波がある場合において」)を欠く場合であっても、かかる公務における作業が本症の発症原因として医学経験則上一般的に肯定された業務危険を伴うものであることが認められていることに鑑み、当該公務の実態に則して医学経験則上納得しうるに足りる、公務の過重性及び労働負荷の特異性、有害性が認められ、そのため当該公務が単に本症発症の一つの要因たるを越えて相対的に有力な原因をなしたものと認められるときは、なお公務起因性を肯定すべきものと解するを相当とする。

そこで以下、原告の従事していた公務及び原告の本症発症前後における心身の状況について検討したうえ、本症の公務起因性の判断に及ぶことにする。

三原告の従事していた公務

1  〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1)  原告の職歴およ中央図書館の勤務体制

原告は昭和二〇年九月五日生まれで、同三六年三月六日から同三八年一月二〇日まで千葉市武藤医院において看護婦見習いをしていたが、同年一一月三日から同四一年一一月二五日まで株式会社丸千において電話交換手として勤務し、同四二年二月一日大阪市市立中央図書館の電話交換手アルバイトとして勤務を開始し、同年七月一日大阪市に電話交換手として採用され、現在に至るまで同図書館で電話交換業務に従事している。

同図書館は同三六年開館以来、電話交換手は概ね二人勤務であったが、同三七年七月一日から同四〇年二月二八日まで三人体制をとっており、同年三月三一日から同年五月一日まで、及び同四二年三月三一日から同年六月一日までは一人勤務であった。原告は同四二年七月一日以来現在に至るまで、同僚の大東公子(同一一年二月二三日生、同四〇年六月一日付採用、以下「同僚」という)とともに二人勤務で職務にあたっている。同図書館における電話交換手の勤務時間は、九時から一七時までである(この点については原告の勤務開始以来変わっていない)が、三人勤務のときは二人が九時から一七時まで、一人が一〇時三〇分から一八時三〇分までとなっていた。原告らは、従来から市当局に対し交換手の人員を増やすようにと、再三交渉しているが、現在においても二人体制のままである。

なお、同図書館の電話交換台は開館以来二座席であるが、旧電信電話公社発行のPBX運用監理の手引(乙第二四号証、以下「手引」という)は、交換座席数に対応する交換取扱者数は、最繁時着席要員数に休憩交代要員数等を加えて算出するとしている。

(2)  原告の使用していた交換機等及び職場環境

原告の使用していた電話交換機の機種は、同五〇年五月一三日以来卓上無紐式の株式会社日立製作所製「日立クロスバ交換機(DAX―10)」であり、原告はこれを鉄製机の上に設置して使用していた。机の高さは七七センチメートルであり、交換機の高さを含めると床から81.5センチメートルから89.5センチメートルになる。右交換機のキーボードの厚さは八ないし11.5センチメートルで、その傾きは二二度で固定されてあり、手と腕の支持台は用意されていなかった。原告が使用していた椅子は、高さ三九センチメートルから四五センチメートルに調節可能な事務用回転椅子であるが、同五五年四月ころまでのある時期において、調節機能が故障しており高さ三九センチメートルに固定されていたこともあった。なお、高さ一三センチメートルの足台も用意されていた。さらに、原告が頭部に着用していたブレストは、重さ三〇二グラムで耳あての部分に保護具がついていないものであったが、原告の希望により、同月一二日ブレストは重さ二〇〇グラムの同所に保護具がついているものに、また、椅子は同五七年三月一〇日、より高く安定性がある足置き付きのものに換えられた。

電話交換室は同図書館内の二階に位置し西側が窓になっており、照明・換気・騒音については格別の問題はなく、室内は広さ二五平方メートルであり、中継台二座席と休憩用ソファー一脚を配し、同室の一部を間仕切って休憩用畳一枚を敷いている。また、同図書館は冷暖房の設備を備えており、館内における同五四年七月、八月、九月、一二月、同五五年一月、二月、及び三月の平均気温はそれぞれ摂氏26.16度、26.88度、27.27度、22.55度、20.61度、22.18度、及び21.02度であったが、夏期及び冬期において隔週の月曜日に冷暖房が停止した。原告は冬期には膝掛けを自ら用意して使用していたが、同五五年一一月一五日原告の希望により交換室内にストーブが、同五八年三月には交換室の床のカーペットが、同六〇年一二月一九日足温器がそれぞれ設置された。

(3)  原告の電話交換業務における動作及び作業姿勢

原告の電話交換業務における基本的動作は、概ね以下のとおり一回の業務当たり六タッチである。①通話の入っていないときは、前記ブレストを頭に着用し交換機の前の椅子に座って待機している。②外から通話が入ると交換機の局線のランプがつき、右手で外線ボタンを押し、どこに繋ぐべきかを確認のために通話をし右手でメモをする。③確認できると該当する内線ボタン(二桁)を右手で押して内線を呼び出し、該当者を電話に出すよう告げる。④そこで外線に該当者が出る旨告げ、該当者が電話に出るとPKボタンを押し、外から電話が入っている旨告げ、さらにTKボタンを押して外線に内線と話すよう告げる。⑤外線と内線が通話を始めると、HKボタン(保留ボタン)を押して一回の交換業務を完了させる。もっとも、③において該当者が席を外していると他の部署へ転送することもあるが、一回転送すると七タッチ余計に交換機のボタンを押すことになる。

作業姿勢は、交換機に向かって足台の上に足を置き椅子に座っているが、待機のときも、ブレストが左耳に当たるように頭部に着用したままであり、両腕は肘の高さより七、八センチメートル高い中継台の上に乗せている。従来のブレストは重く頭を締めつけられるのが辛かったため、これを頭からはずして通話が入るたびに左手で保持して、左耳にあてて業務をすることもあった。交換機が設置されている机は鉄製で冷たかったので、右机の上にタオルや座蒲団を置きその上に肘をあてて仕事をしていた。また、右手で交換機のボタンを押すときは、右腕は台から浮いた状態になっている。椅子の高さを調整することはできたが、原告の身長は152.5センチメートルであるから、高くすると足が足台に届きにくくなり、低くすると腕をより高くあげる不自然な姿勢になり、椅子の上に正座して仕事をすることもあった。また、交換機の厚み及びその傾きから、原告は水平よりも上方に手首を保持して交換作業をしていた。

(4)  原告の通話取扱件数等

同図書館において有紐式交換機を使っていた同三六年一一月一日から同四六年一〇月一四日までの計四七日間の通話取扱件数の合計は一八三九五件(受信は三九八四件)一日平均約三九一件(受信は約八五件)であった。一方、交換機が無紐式に変わると内線相互間及び内線からの発信は原則として取り扱わなくなったため、同五五年四月一五日、一七日ないし二〇日、二二日ないし二六日まで一〇日間の一日当りの取扱件数はそれぞれ二一七、一七八、一二八、二〇四、六六、一六二、一七八、一三八、一三四、一五八件であり、合計一五六三件(受信は一四八三件)一日平均約一五六件(受信は約一四八件)になった。旧電信電話公社が定めた構内交換設備等に関する「技術基準」(乙第二五号証、以下「技術基準」という)は、動作率(一時間中に交換作業のために動作した時間の割合を百分率で表したもの)の目安を七五%としているが、原告の同六〇年三月二二日から四月四日までにおける動作率は、平均五〇%、最大でも61.7%であり、右目安を下回っている。さらに、前記手引は、最繁時一時間中に取り扱う通話件数の目安を一〇〇件程度までとしているが、原告の同六〇年三月二二日から四月四日までにおける状況は、平均二二件、最も多い日でも四三件、最も少い日で七件である。

ところで、大阪市は同四七年以来毎年同館の分館建設をすすめたため、同図書館の分館が毎年増えたが、分館から中央図書館への電話連絡は全部交換台を経由しておこなわれたこと、特に同五二年四月から集中整理体制が導入され中央図書館は市立図書館の中枢的役割を果たすようになったこと、あるいは近年図書館のマスコミを使ったPR(行事・刊行物・利用案内)が充実したため電話による問い合わせが増えたこと等から外線からの受信は、有紐式の交換機を使っていたころに比べて無紐式のそれを使い始めた同五〇年以降の方が増加している。

さらに、図書館における電話交換業務の中には、利用案内や同図書館までの道案内も含まれており、また他の交換業務に比べて、処理時間が長くなりがちな子供や老人を相手にすることも多いのみならず、利用者からの苦情電話もほとんどの場合交換手が対処している。したがって、交換業務に要する時間は長く、同六〇年三月二二日から同年四月四日までにおいて原告が処理した交換業務一件当たりの平均時間は、38.9秒である。因みに、前記手引によれば、一件当たりの平均所要時間は二三秒とされている。また、同図書館においては、交換手が神経を使う外線からの重複電話も多く、従来四本の外線で処理していたがこれでは話中のことが多かったため、同六〇年四月から五本となった。

(5)  原告の勤務時間及び出勤状況等

原告の勤務時間は九時から一七時まで、二人勤務のときは一時間毎に同僚と交代し計四時間業務に当たることになっている。したがって、一時間おきに一時間の休憩時間がある(前記手引は、一回当たりの休憩時間は二〇分程度が最も良く、三〇分を限度とすることが、望ましいとしている)が、このときは交換室を仕切って休憩用の畳が敷かれているところで休むこともあるが、交換機の横のソファーに座っていることもあり、重複して通話がはいった場合同僚を手伝って業務に当たることもあった。また、一人勤務のときは昼休みには事務室に電話を切り換えて一時間休むことができたが、午前三時間・午後四時間の連続作業による一日計七時間業務に当たることになっていた(但し、半日一人勤務のときは午前三時間または午後四時間の連続作業を含む一日計六時間の作業となる。なお、同四九年一月での一人勤務は一日八時間の連続作業であった)。なお、同五五年八月一五日から一人勤務のときも一時間執務・一時間休憩の体制になり、一時間毎に一時間の休憩が取れることになった。

同五三年度及び五四年度における原告の実勤務日数はそれぞれ236.5日、二三六日であり、同僚のそれはそれぞれ二四二日、240.5日である。次に、同年度における年次休暇・生理休暇等の原告の総休暇取得日数はそれぞれ60.5日、六一日であり、同僚のそれはそれぞれ五五日、56.5日である。さらに、従来は休館日である月曜日と祝日が定休日であったが、同五〇年五月以降はいわゆる「特勤体制」の実施により、月曜日も出勤することになり、日曜日と月曜日が同僚と交代で一人勤務になった。その結果、右年度における原告の一人勤務の実績は、それぞれ八四日(そのうち半日一人勤務は一六日)八三日(そのうち半日一人勤務は一三日)になった(月平均は約6.95日)。因みに、同四七年度及び四八年度における原告の一人勤務の実績は、それぞれ五七日(そのうち半日一人勤務は一八日)五二日(そのうち半日一人勤務は七日)であった(月平均は約4.54日)。なお、原告は時間外勤務をしたことがない。

以上の事実が認められ、これに反する〈証拠〉は信用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

2  すすんで、原告の従事していた公務の過重性及び労働負荷の特異性、有害性について検討する。

(1)  まず、原告の従事していた電話交換業務自体の有害性につき検討する。

前記認定事実によれば、原告は同四二年七月一日大阪市に採用され、以来同図書館で電話交換業務についていたこと、原告の業務における基本動作は、右手でメモをとるため筆記し、或いは交換機のキー・ボタンを操作すること、通常の二人勤務のときは一時間の連続作業をしていたこと、原告の作業姿勢は、通話が入っていないときも交換機の前の椅子に座りブレストを頭部に着用し待機していなければならなかったこと、原告は、ブレストが重かったため、頭からはずし、通話が入るたびに左手で保持して左耳にあてて業務をすることもあったこと等の事実が認められる。してみると、原告の作業は筆記及びキー・ボタンの操作で手指を使用して行うもの(上肢の動的筋労作)であるうえ、作業時間中は通話が入っていないときも交換機の前で一定の姿勢を保持し、待機を余儀なくされるものであり、さらにブレストをはずしているときは通話のたびに左手を側方挙上位に保持しておこなうもの(上肢の静的筋労作)であることから、原告の従事していた電話交換業務自体、上肢に負担をかけ、相当有害な業務であることが認められる。

(2)  ところで、原告の従事していた業務量(勤務時間、出勤状況、通話取扱件数)が他の電話交換手との比較において過重であったという証拠はない。

かえって、前記認定事実によれば、原告の勤務時間は午前九時から午後五時までで、二人勤務のときは一時間毎に同僚と交代で四時間ずつ業務に当たることになっており、一時間おきに一時間の休憩時間(前記手引は一回当たりの休憩時間は二〇分程度が最も良く、三〇分を限度とすることが、望ましいとしている)があること、原告の本症発症当時の同図書館における通話取扱件数は一日平均約一五六件であったこと、いわゆる動作率につき前記技術基準は目安を七五%としているが同六〇年三月、四月当時の原告の動作率は平均五〇%、最大でも61.7%であったこと、前記手引は一日のうちの最繁時一時間中に取り扱う通話件数の目安を一〇〇件程度までとしているのに対して、同六〇年三月ないし四月当時における原告の状況は、平均二二件、最も多い日でも四三件、最も少い日で七件であったこと(本症発症当時において同六〇年三月、四月当時よりも通話取扱件数が多かったという証拠はない)、原告は時間外勤務をしたことはなく、本症発症直前の同五三、五四年度における原告の実勤務日数を同僚のそれと比較してみると、むしろわずかながら同僚の方が多かったこと、の事実が認められ、右事実によれば、原告の業務量が過重であったということはできない(なお、前記通知は、「同種の公務員と比較して概ね一割以上の業務量が増加し、その状態が発症直前三箇月程度継続した」或いは、「一日の業務量が一箇月平均業務量の二割以上増加し、そのような状態が一箇月のうち一〇日程度認められる場合、又は、一日の勤務時間の三分の一程度にわたって業務量の概ね二割以上増加し、そのような状態が一箇月のうち一〇日程度認められる」といった事情がある場合には、業務量が過重であり、或いは業務量に大きな波があると判断されるものとしているが、本件を右基準に照らしてみる限り、業務量の過重等を認めるに足りる証拠はない。もっとも、本件においては業務量に大きな波がある場合かどうかにつき、原告が一人勤務に従事していたことが一応問題になるが、前記認定事実によれば、原告は一人勤務を月平均約6.95回していたこと、二人勤務のときは一日四時間業務につくのに対し、一人勤務のときは一日七時間業務につくこと、したがって一人勤務のときは概ね一日三時間の業務時間の増加となることが認められるが、これを右基準に照らしてみると、「一日の業務量が一箇月平均業務量の二割以上増加し」という要件には該当するかどうかは別としても、「そのような状態が一箇月のうち一〇日程度認められる場合」という要件に該当しないことが明らかである。しかしながら、右一人勤務の、業務としての過重性については、後記のとおりまた別論である)。

而して、原告と他の電話交換手の業務量の比較は、同僚は一人にすぎず、それ以外の電話交換手一般における業務量に関する証拠は、前記手引及び技術基準を除いて本件全記録を精査しても見当たらず、特に右目安の運用状況に関する証拠はないから、原告の従事した業務量が、他の電話交換手一般、或いは公務員たる電話交換手一般との比較において、過重であったといえないのは前記のとおりであるが、他方、過少であったということもできない。

ところで、被告は、原告の業務量は同五〇年五月一三日以降大幅に減少している旨主張している。なるほど、前記認定事実によれば、同日、原告の使用していた交換機が有紐式から無紐式に変わったこと、交換機が有紐式であったときの通話取扱件数の一日平均は約三九一件であったのに対し、無紐式に変わった後の一日平均のそれは約一五六件になったことが認められる。しかしながら他方、前記認定事実によれば、通話時間が長くなり交換手がより神経を使う外線からの受信の一日平均は、前者が約八五件であるのに対し、後者は約一四八件とむしろ増加していること、一日当たりの業務時間は変わっていないこと、後記のとおり一人勤務の日数は、交換機の機種変更後大幅に増えていることが認められる。これらの事実を総合すれば、業務量を単に通話取扱件数でみる限り右主張は誤りとはいえないが、取扱業務の内容、勤務時間、一人勤務の日数を合わせて考慮するならば、右取扱件数の減少により業務における労働負荷が減少したと即断することはできない。

(3)  さらに、原告においては一人勤務における業務の過重性が着目されねばならない。

即ち、前記認定事実によれば、原告は、半日一人勤務の日も含めて、同五三、五四年度において月平均約6.95日一人勤務に従事したが、同四七、四八年度における月平均のそれは約4.54日であるから、一人勤務は、同五〇年五月からの「特勤体制」実施により従来に比べて大幅に増えたこと、一人勤務のときは昼休みには一時間休むことができたものの、それを除き三ないし四時間の連続作業を含む一日計七時間の業務を余儀なくされていた(但し、半日一人勤務のときは一日三、四時間の連続作業を含む一日計六時間の作業となる)ことが認められ、さらに前記認定事実によれば、労使交渉の結果、同五五年八月一五日から一人勤務のときも、「一時間執務、一時間休憩」の体制になり一時間ごとに一時間の休憩が取れるようになったことが認められるが、このことは、それまでの一人勤務が交換手にとって相当過重であったことを推認させるのみならず、前掲乙第二四号証によれば、前記手引は交換手の一連の作業時間について六〇分から九〇分程度で一二〇分を限度とし、休憩交替要員を置くべきことを当然の前提としていることが認められるのであり、これらの事情を総合すれば、一日三ないし四時間の連続作業を余儀なくされ、同五三、五四年度において月平均6.95日も従事していた本症発症までの原告の一人勤務は、原告個人にとってはもちろん、前記手引から想定されるところの電話交換手一般との対比においても、かなり過重であったと認めることができる。

(4)  次に、原告の使用していた交換機及び椅子からくる労働負荷の有害性を問題にしなければならない。

前記認定事実によれば、原告の身長は152.5センチメートルであること、原告が本症発症まで使用していた椅子は、高さ三九センチメートルから四五センチメートルに調節可能な事務用回転椅子であるが、同五五年四月ころまでのある時期において、調節機能が故障し高さ三九センチメートルに固定されていたこともあったこと、交換機を設置している机の高さは七七センチメートルであり、右交換機の高さを含めると床から81.5センチメートルないし89.5センチメートルの高さになり、原告は床から85.0ないし88.5センチメートルの高さで交換作業をしていたこと、右交換機のキーボードの厚みは八ないし11.5センチメートルであり、その傾きは二二度のままで固定されていたため、原告は水平よりも上方に手首を保持して交換作業をしていたこと、手と腕の支持台は用意されていなかったこと、原告はブレストが重かったため、これを頭からはずして通話が入るたびに左手で保持して、左耳にあてて業務をすることもあったことが認められる。

さらに、〈証拠〉によれば、原告が、高さは七七センチメートルの机上でメモを記入する作業をし、床から85.0ないし88.5センチメートルの高さの電話交換機の操作をする場合、人間工学的見地から、椅子は座面高が床から五三センチメートル前後のもので容易に高さの調節ができ、足置き台の高さは二一センチメートル前後であるものが理想であり、さらに、キーボードの厚みは三センチメートル以内でその傾きは五ないし一五度でキーボードに適合した手と腕の支持台が利用できるのが理想であること、手首を前腕より上方に保持するにつれて筋肉の負荷が増大すること、滋賀医科大学助教授西山勝夫は、同六三年九月二〇日原告が勤務している電話交換室において原告が電話交換機の操作を床から85.0ないし88.5センチメートルの高さですることを想定し、座面高をそれぞれ三九、四五、五三センチメートルに設定し、ブレストを左手で保持して左耳に密着して作業するときの原告の左右の肘・肩の床からの高さを安静時のそれとの比較において計測したところ、肘については、座面高に関わりなく八五ないし八六センチメートルであり、座面高が五三センチメートルのときは、安静時に比べ作業時において三センチメートルの挙上が認められるにすぎないが、座面高が三九、四五センチメートルのときは、それぞれ一三、一七センチメートルの挙上が認められ、左右ともほぼ同じ高さの挙上であったこと、次に右肩についてはいずれの座面高においても二ないし三センチメートルの挙上であったのに対し、左肩については、座面高が五三センチメートルのときはほとんど変わらないが、座面高が三九、四五センチメートルのときは、いずれも五センチメートルの挙上が認められたこと、さらに西山助教授は、同年一〇月二〇日、関西医科大学衛生学教室において、原告に床から85.0ないし88.5センチメートルの高さでの電話交換作業を、また高さは七七センチメートルの机上でメモを記入する作業を想定し、また、座面高をそれぞれ三九、四五、五三センチメートルに設定し、さらに、ブレストを左手で保持して左耳に密着して作業するという姿勢における模擬電話交換作業をさせ、原告の左右の僧帽筋上部、三角筋前部、上腕二頭筋及び前腕僥側屈筋における筋電図を計測し、磁器データレコーダーに記録したところ、右側については、上腕二頭筋の筋電発生は低調で安静時のときと変わらず、他の筋ではいずれも座面が低いほど打鍵時の筋電振幅が著明に大きかったこと、さらに、左側は、前腕屈筋の筋電発生は低調で安静時のときと変わらないが、その他の筋では、五三センチメートルの座面高では安静時のときと変わらない筋電振幅であったのに対し、三九、四五センチメートルの座面高ではその著増が認められ、特に僧帽筋、上腕二頭筋では座面が低いほど筋電振幅が大きいこと、これを左右の筋電振幅を比較してみると、左においては筆記、打鍵の作業にかかわりなくほぼ同レベルの筋電振幅であり、同じ強さの筋緊張が持続しているのに対し、右においては安静時、筆記時に比べ打鍵時の筋電振幅が特に大きく、また、僧帽筋において左右の筋電振幅を比較すると、同じか左の方がやや高かったこと、の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告が本症発症までに使用していた椅子は、座面高が三九、四五センチメートルであり理想の座面高五三センチメートルの椅子に比べ、七ないし一四センチメートル低いものであるところ、電話交換作業時における肘・肩の高さを安静時と比較すると、まず肘については、安静時に比べ作業時において一三、一七センチメートルの挙上を余儀なくされること(なお、理想の座面高では三センチメートルの挙上が必要になるにすぎない)、次に左肩については、五センチメートルの挙上を余儀なくされることが認められ(なお、理想の座面高では挙上する必要はない)、そうすると、原告は理想の座面高の椅子で作業するときよりも上肢にそれだけ余分な負担をかけていたと推認できるし、キーボードの厚み及びその傾きの点から、そしてキーボードに適合した手と腕の支持台が用意されていなかったことから、手首を前腕より上方に保持することを余儀なくされ、その結果、筋肉の負荷が増大していたことも認められる。さらに、西山助教授の筋電図測定結果によれば、左右いずれの上肢・肩の筋についても座面が低いほど概ね筋電振幅が大きいことが認められ(例外と認められる筋がないわけではないが)、筋電図は筋収縮にともなう電気現象であって、発射電位と筋収縮には高い正相関が認められることに徴すると、原告が使用していた椅子に座って作業する場合は、理想の座面高の椅子に座って作業をする場合に対比して、これらの筋肉により大きな負担をかけていたことが推認できる。以上の諸事情によると、原告の電話交換作業における労働負荷は、上肢・肩の筋肉に余分な負担をかけていたという意味において、相当有害であったと認めることができる。

(5)  最後に、原告の職場環境等につき検討する。

前記1認定事実によれば、原告が使用していたブレストは、重さ三〇二グラムで耳あての部分に保護具がついていないもの(本症発症後原告の希望により重さ二〇〇グラムで保護具がついているものに換えられた)で、原告に頭部の締めつけ等の負担をかけていたこと、同図書館は照明・換気・騒音については格別の問題はなく、また冷暖房設備も備えていたものの、暖房はやや不十分で原告は職務中膝掛けを自ら用意して使用していたこと(本症発症後原告の希望によりストーブが、その後足温器がそれぞれ購入された)、の各事実が認められる。右事実によれば、同図書館の職場環境にそれほど欠陥があるわけではないとしても、冬期における暖房についてやや問題があり、また、使用していたブレストには相当問題があったと認められ、これらの事情は原告の心身に悪影響を与えていたものと推認できる。

(6)  (1)ないし(5)の諸事情を総合すれば、原告の業務量は、必ずしも過重であったということはできないとしても、原告の従事していた電話交換業務自体、上肢に負担をかけ、相当有害な業務であるうえ、交換機種が変更されてから日数が増加し、月平均約6.95日も従事していた一人勤務は、原告をして一日三ないし四時間の連続作業を余儀なくさせたもので、かなり過重であったといえること、次いで、原告の使用していた椅子に座ってする作業における労働負荷は、上肢・肩の筋肉に余分な負担をかけていたという意味において、相当有害であったことが認められ、さらに、原告の使用器具・職場環境等の問題点から生じたと推認される原告の心身に対する悪影響をも併せ考慮するならば、原告の従事していた公務は、相当過重であったと認められるのみならず、本症発症との関連においては、その労働負荷の特異性、有害性も、無視できないものといわねばならない。

四本症発症前後における原告の心身の状況

前記当事者間に争いのない事実及び三で認定した事実に〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は同四八年三月現在の夫と結婚し、同四九年一〇月第一子を、同五二年二月に第二子を各出産した。原告は、同四八年一一月膀胱炎に罹患し、また、妊娠中の同四九年二月勤務中に出血をおこし医師から「切迫流産の恐れあり、仕事の制限をするように」といわれ、一週間のつわり休暇をとったことがあったが、本症との関連での格別の症状は出ていなかった。

原告は同五〇年秋頃から勤務後の疲労感が持続するようになり、風邪をひきやすく、背中から肩にかけての頑固な凝りや頭痛になやまされ、生理痛もひどくなり、胸の筋肉に痛みを感じるようになり、さらに寝つきが悪く熟睡できないという諸症状が出てきたものの、このため病院等に行くという程ではなかった。もっとも、原告は同五三年一一月五日転倒したため、同月一〇日堺市津久野町所在の田村外科で左肩及び右膝関節打撲との診断を受け、湿布剤及び五日分の鎮痛剤等の投与がされた。このときの診療実日数は一日で、左肩及び右膝関節のレントゲン撮影の結果は異常なしであった。

2  しかし、原告は、同五四年六月中頃首筋から肩・背中にかけて硬直し、激痛が続くという症状が出るに至り、同月一八日前記田村外科で受診したところ、「急性頸椎症」と診断され、神経ブロック、頸湿布の処置及び湿布剤等の投与を受け、医師から「使い痛み、肩凝りのきついもの」と説明された。このときの頸椎レントゲン撮影の結果は、側面正中位で直線化のみが異常とされている。さらに原告は、風邪をひいて肩が硬直していたので、同年七月一二日勤務先近くの池田診療所で受診したが、ここでも「肩が凝りきっている」との指摘を受け、肩に注射をしてもらった。そして首・肩の凝り・傷みが一層続くなかで、原告は、同年一〇月一五日加賀屋診療所で受診し、医師から「疲れすぎている、できるだけ仕事量を減らし、全身運動をするように」との指摘を受けた。

さらに、原告は、同五五年二月ころから前記症状が一層悪化し、嘔吐し食欲がなく、頭痛・背中から首にかけての硬直、腰・左腕から指先までの激しい痛み・しびれのため、特に左手の自由が効かなくなり、また、洗面等身の回りの事さえ一人で満足にできないようになり、同月九日右田村外科で頸湿布等の応急手当を受け、同月二〇日、大阪市西淀川区所在西淀病院(以下「西淀病院」という)で受診した。

3  西淀病院の原告の主治医・同院副院長医師田尻俊一郎(以下「田尻医師」という)は、原告に対して、前記通知・通達所定の検査を含む種々の検査を行なったところ、その結果は「腱反射に異常を認めず病的反射もなし、知覚の異常を含む根症状を証明しない、両肩僧帽筋・一部三角筋・項部筋群・左肩甲関節・頸部筋群・上腕二頭筋・前腕筋ことに僥側の筋群に広範に圧痛を認め筋緊張亢進を証明し、両側の傍腰椎部にも筋硬結を伴う圧痛を認め、SRLは陰性、明らかな四肢関節の運動制限は認めないが、頸椎の運動は前屈六〇度、後屈四五度・右側屈四五度・左側屈五〇度・右回旋六〇度・左回旋七〇度で運動痛を伴う、アドソン試験・ライト試験・気をつけ試験・椎間孔部圧迫試験等の諸試験の結果はすべて陰性、モーリイ試験は両側とも陽性、頸椎レントゲン撮影の結果は異常なし、指先容積脈波も正常、尿蛋白・糖・ウロビリノーゲンはいずれも陰性又は正常、血沈では赤血球五ないし六個・白血球二ないし三個で正常、白血球分類での異常なし等血液疾患の疑いなし、CRP・RA・ASLO等諸検査の結果はいずれも陰性又は正常、背筋力四〇(疼痛を伴う)、握力右二七・左二五、つまみ力Ⅰ―Ⅱ指右3.0左2.7、同Ⅰ―Ⅲ指右1.5左0.9、タッピング(三〇秒)右七〇、左五三等」であった。そして同医師は、同月二九日、右検査結果に原告に対する職歴・生活歴等の問診及び視診の結果を総合して「傷病名は頸肩腕障害、向後約三カ月間作業軽減、過重な負担を避け、週三回の通院加療を要する(業務起因性濃厚)」と診断した。そして、同医師は原告に対し、理学療法(温熱、マッサージ、電気、超短波療法等の組合せ)・薬学療法(鎮痛剤、安定剤の投与)を中心とした治療を開始した。

4  そこで原告は、当局と交渉し週三回午前中の通院治療を受けたが、作業軽減は思うにままならなかった。そして西淀病院での治療効果は殆どあがらなかったので、田尻医師は同年四月一八日「向後約一カ月間休業加療を必要と認める」と診断し、原告は同月二一日から病欠に入った。原告は左腕の傷み、体全体のしびれ等から家ではほとんど寝たきりで、何とか通院だけはするという生活が五月一杯まで続いたが、この間の同月一九日、同医師は「同日より約二カ月間休業加療を要する」と、同月二八日に「治療見込・同年一二月三〇日まで、休業見込・同年八月三一日まで」と診断した。

その後理学療法、薬学療法の効果が少し上がり原告は家でも起きて生活できるようになったが、まだ無理はできないという状態にすぎなかったため、同医師は同年八月六日「就労が著しく困難ないしは就労による憎悪が予想されるため、向後約六カ月間休業加療を必要であろう」と診断した。さらに療養の効果がでて、特に神経症状が軽くなったが、同医師は、なおわずかの負担で症状の変動があると判断したため同年一〇月八日「三ないし六カ月は就労困難であろう」と診断し、その後さらに療養効果が上がり、肩・腕の筋緊張が軽減され順調な経過をとってきたが、同医師は寒い季節でまだ原告が作業負担に耐えられるとまではいえないと判断したため、同五六年一月三日「同年三月末日ころまで休業し、その後いわゆる五九三通達所定の職業訓練を考えるべきである」と診断した。その後原告の症状は軽快し、他覚的所見も軽減したので、同医師は、自宅療養の中で様々な負荷負担にも耐えられるようになったと判断し、同年四月一〇日「早い時期に前記訓練就労が開始されることが望ましい」と診断し、そして治療の中心を理学療法から運動療法に移した。

5  さらにその後原告は、外からのかなりの負荷・負担に耐えられるようになり、田尻医師の指示に従い、当局との交渉の結果、同年五月一二日から給料は現状維持のまま、通勤費は不支給等の条件で、同図書館において就労訓練を開始したが、同年六月下旬左腕のしびれ等から二週間右訓練を休む等、時には症状の憎悪をみたため、同医師は同年七月一〇日「約一カ月間現在の治療訓練をおこなった後原職への復帰が適当であろう」と、また同年八月四日「なお最低限の治療ないし監理の必要があると思われるが、病状の好転と安定が得られている現状であるので原職復帰は可能である」と診断した。

そして原告は、同年九月一日から当初三〇分仕事・六〇分休憩の、同年一一月一日から四五分仕事・四五分休憩の形態で職場に復帰したが、勤務後に首・腕の傷み・しびれ等が残り、週一ないし二度の割合で西淀病院に通院していた。その後原告の症状は改善され、同五七年三月から一時間仕事・一時間休憩の通常の勤務形態に復帰し、同病院には同年一月から三月までは週一度、同年四月から七月までは二週に一度、同年八月から一一月までは二か月に一度の割合で通院した。この間原告は妊娠し、同五八年六月二八日第三子を出産した。なお、原告は同病院へは同年は二度、同五九年は三度、同六〇年には一度通院しただけであり、現在において、本症はほぼ全快している。

6  ところで同僚(身長147.5センチメートル)は、これまで何度か肩・指等に傷みを感じたことがあるものの、未だに公務災害の認定申請をするには至っていない。

以上の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

五本症の公務起因性

1  公知の事実に属する事実に〈証拠〉を総合すれば、以下のとおり認められる。

いわゆる「頸肩腕症候群」とは、種々の機序により(局在性の原因は不明である)後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれか、或いは全体にわたり「凝り」「しびれ」「傷み」などの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状を伴うことのある症状群に対して与えられた名称であるが、その臨床症状については、頸部痛、肩部痛、上腕痛、前腕痛などが典型であり、時として頭痛、背痛を伴うことも少なくなく、偏側や両側の頸筋、背筋の緊張(凝り)があり、上肢の知覚障害、知覚鈍麻、しびれ感などを伴うこともあり、これらの諸症状は単独で起こってくることもあれば、種々組合わさって起こってくることもありうる。このうち、病態の明らかな個々の独立した疾患としては、急性の外痛により惹起される捻挫、骨折、主として加令的な退行性変性による頸部椎間板症、腱鞘炎、五十肩、頸椎奇形等があるが、圧倒的に多いのは病理学知見や客観的所見等の得られない病態不詳の前記各種臨床症状を呈する疾患であり、通常これを頸肩腕症候群と呼んでいる。

ところで、その発症原因については、今日までに種々の研究がなされているにもかかわらず、全面的に解明されているとはいえないが、その多発している職業等からみて、上肢の挙上保持、手指の繰り返し作業等の労働負荷が大きな要因になり、さらに精神的ストレス、及び患者側の素因(いかなる素因をもった人が本症になりやすいかについては、定説がない)等が複雑に絡み合って発症するものと考えられる。もっとも、右上肢作業に従事していない主婦、学生も頸肩腕症候群に罹患する場合が認められること等から、患者側の素因が主たる発症要因であると考えられる場合もある。

なお、日本産業衛生学会は、同四六年ころから、頸肩腕症候群が上肢を主として使用する作業労働者に多くみられることに着目して、個体の側に生ずる健康障害をその原因である労働との関係で総合的に把握すべきであるという見地から、職業起因性の頸肩腕症候群を一般のそれと区別して「頸肩腕障害」なる診断名を提案している。田尻医師も原告の傷病名を「頸肩腕障害」と診断しているのであるが、その業務起因性のことまで考慮されているかどうかは別として、現在では右診断名も比較的広く用いられるようになっており、多くの場合いわゆる頸肩腕症候群と同じ疾病であることが認識されるに至っている。

以上のとおり認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

2  ところで、成立に争いのない乙第九号証及び大石昇平の証言によれば、地方公務員災害補償基金・大阪市支部審査会からの依頼を受けて本症の公務起因性につき鑑定した日本パラブレジア医学会理事・医師大石昇平(以下「大石医師」という)は、本症が原告の従事していた公務に起因して発症したものではないと判断している。しかしながら、〈証拠〉を総合すれば、大石医師は、原告の従事していた公務の内容、原告の診療経過等を子細に検討していないのみならず、原告の主治医である田尻医師の診断書の「頸椎X線に異常をみとめず」との記載を「頸椎X線に異常をみとめる」と読み違えたり、田尻医師が原告に対し前記通知・通達所定のアドソン試験等鑑別診断のための諸検査をすべて行っているにもかかわらず、そのうちの一部しかしていないと誤解したうえで判断したものと認められるから、大石医師の右判断は採用できない。

3  そこで、以上の認定説示を総合して、本症の公務起因性について判断する。

前記四認定の事実によれば、原告は、同五〇年ころから、頸部、上腕部等に「凝り」「しびれ」「傷み」等の症状が現れるようになり、当該業務の継続により、その症状が次第に憎悪していったこと、原告の主治医・田尻医師は、昭和五五年二月二九日、原告に対して、鑑別診断のための前記通知・通達所定の検査を含む種々の検査等を行なった結果、原告の本症を業務起因性濃厚の「頸肩腕障害」と診断し、原告に対し理学療法・薬学療法を中心とした治療を開始したこと、原告は当初仕事を続けながら通院により治療していたが効果があまりあがらなかったため、同年四月二一日から同五六年八月末まで職場を休職して治療に専念し、その結果徐々に療養効果があがり、前記通知・通達所定の就労訓練を経て、始めは三〇分仕事・六〇分休憩の、その後四五分仕事・四五分休憩の形態で、椅子・ブレストの買い換え等により以前より作業負担の軽くなった職場に復帰し、同五七年三月から一時間仕事・一時間休憩の通常の勤務形態にもどり、また、同病院への通院も次第に回数が減り、現在ではほぼ全快したことが認められる。右事実によれば、その症状及び田尻医師の診断経過等からみて、原告は頸肩腕症候群に罹患していたことは明らかであるところ、本症の発症部位と原告の作業姿勢の関係、原告の病訴の経過及び療養経過、本症の発症原因等に照らせば、本症が原告従事の、復帰前の過重だった当時の公務に関連して生じたものであることが認められる。

もっとも、前記認定のとおり同僚は原告より九歳年上の女性で、電話交換手としての経験・熟練度は原告とほぼ同じで、ほぼ同じ時間、同じ業務に従事しているが、本症につき未だ公務災害の認定申請をしていないことが認められる。しかしながら、同僚にも肩・指の「傷み」等の症状がないわけではないのみならず、本症は従事していた業務の労働負荷に患者の素因が複雑に絡み合って発症するものと考えられるところであるから、同僚に本症が発症していないことをもって、ただちに本症発症と原告の従事していた公務との間の起因性を否定すべきことにはならない。

さらに、原告には、同四九年一〇月及び同五二年二月に出産歴があり、前掲大石昇平の証言によれば、婦人労働者は、出産により育児を余儀なくされることから、上肢に負担のかかる場合が増え、これが頸肩腕症候群の発症に関連を持つものであることが認められるが、原告は、職場において椅子・ブレスト等が負担の少ないものに変更され、一人勤務の勤務形態も緩和された後の同五八年六第三子を出産したものの、本症が発症していないのである。そうすると、原告の場合、第一子、第二子の出産が本症発症に大きく寄与しているとはただちにはいえず、むしろ第三子の出産のときの状況を考慮すれば、本症と右変更前のより過重であった公務との業務起因性を推認させるといえなくもないのである。

ところで、前記認定によれば、原告は右手で筆記したり、交換機のボタン等を操作するなど主として右手で作業を行っていたのに対して、本症の諸症状は、右よりもむしろ左腕等の左に強くでていることが認められる。しかしながら、原告は当時使用していたブレストが重かったため、これを左手で保持して左耳にあてて業務にあたっていたのであり、また、前記西山助教授の模擬電話交換における筋電図の測定の実験結果によれば、筋電振幅を左右で比較すると、右の筋群は打鍵時において特に大きいのに対して、左の筋群は打鍵・筆記・待機とほぼ同レベルであり同じ強さの筋緊張が持続していたこと、また、僧帽筋についてこれを比較すると、同じか右よりもむしろ左の方が大きいことが認められ、このことから原告の電話交換作業においては、左右同等もしくは左の上肢の筋肉により大きい負荷がかかっていたことを認めることができる。そうすると、原告の諸症状が右よりも左腕等の左に強くでていることは、本症の公務起因性を推認させる有力な事情である。

以上の説示を総合すると、原告の本症は、原告の素因との関連性を全く否定することはできないけれども、原告の従事していた公務に起因して発症したものと解するのが相当である。即ち、原告の従事していた公務をその実態に則して考察すれば、本症発症との関連において右公務には医学経験則上納得しうるに足りる過重性、及びその労働負荷の有害性が認められ、また、原告が当該公務に従事していなくても本症は発症していたとまでは認められず、むしろこれに従事していなければ本症に罹患していなかった可能性の方が高いと考えられ、してみると原告の従事していた公務が唯一の原因であったと認めることはできないとしても、右公務が少なくとも相対的に有力な原因になって本症が発症したものと認めることができる。

よって、被告が原告に対してなした本件処分は、本症を原告の従事した公務に起因しないものと誤認した違法な処分であるから、取消を免れない。

六結論

以上の次第で、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官蒲原範明 裁判官北澤章功 裁判官鹿島久義)

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